アキ100に参加しました

経過としては、9月の終わりから始めたので、だいたい1日2本ペースでこなしていきました。もちろん毎日きっちり2本ずつというわけではなく、漫画を読みながら黙々と10本という日もあれば、びたいちなしという日もありました。なぜならたくさんこなした日には、それ相応の回数のおならを放たざるをえないからです。あまつさえそのおならには、それ相応の異臭を伴います。殺傷能力と呼ぶべき類の。わかりやすく例えると、武蔵程度のK-1戦士であれば一撃で屠れるというか、さらに唇を腫らしていきます。自分のおならはそれほど臭いと感じない。そんな法則はもはや成立しません。他人に嗅がせようものなら、即座に訴えられ、そして敗訴するに決まっています。12人の怒れる陪審員に小突き回されたりもします。なので平日はなるべく避けるようにし、週末に本数を稼ぐ方法を選択しました。いずれにせよ、鼻毛は異様に伸びました。つねに、というか今も2センチは出ています。んなわけで報告は終わりますが、念のため説明しておくと、「アキ100」というのは秋が過ぎるまでに100本の焼きイモを食べるという催しであり、「ナツ100」とは全くの無関係です。おいおい、もう冬だよ?と思われた人もおられるかもしれません。でも衣替えの季節は人それぞれ。あなたにとっての冬が、あなた以外にとって必ずしも冬ではない。それだけは肝に銘じておいてください。ちなみに田中家では、芋は「おいもさん」と呼ばれます。かつて父が川で溺れそうになったとき、どこからともなく伸びてきた芋のつるを掴んで助かったりはしていませんが、とにかくそう呼ばれます。あとそういえば、生まれて初めて紫芋というのを食べました。噂に勝りし紫色でしたね、あいつは。紫というか、むしろパープルと呼びたくなるというか、なんつうかもう、暴走族に愛されそうなおいもさんでした。

ポテトくんとスイートポテトちゃん

ポテトくんとスイートポテトちゃん

  • 作者: 立川夏子、秋野純子
  • 出版社/メーカー: 新風舎
  • 発売日: 2006/10
  • メディア: 単行本

日本語が亡びたとき

豚なりに悪足掻こうぜ、と仕事の合間に飲み続けている杜仲茶の買い置きが切れるやいなや、職場から家へ電話をかけました。お昼前だし母はまだ、スーパーマルアイへ買い物には行ってないはず。あわよくばついでによろしくね、そう思いつつ。「はいもしもし、田中です」「息子です。そちらは母ですか?」「おお、愛する息子よ。どうしました?まさか、母が恋しくなったとか?」「いやそうでなくて、お茶がなくなりました」「まじでか」「まじです」「そら大変やー」「大変です。仕事どころではありません」「で、どこのおっちゃんが死んだん?あんたの友達のお父さんか?お通夜は今日?」「え、うん、いやいや、ちょっと待って」「あん?」「だから、あの、杜仲茶が」「とつう?何やの?誰やのそれ?」「あ、う、じゃなくて、50パック入りの、その、お徳用のやつが」「もうええ。うんざりやわ。それ以上しゃべらんといて。お母さんな、あんたが何言うとんのか全然わからん。あんたが日本人がどうかもわからへんようになってもた。だからもう、今日でお別れやな…」「う、うそー」 用件は伝わることなくあっという間に電話は切られ、親子の縁もあっさり切られました。気づくと僕は、体育座りをしていました。職場にいることも忘れて、途方に暮れました。「杜仲茶」と10回、ないし20回、つぶやきました。それほど言えてない感じはありませんでした。少なくとも、「スーパーニュース」でおなじみ永島昭浩さんよりは遥かに言えていました。となると、通話状態に何かしらの問題があり、聞こえにくかったと結論づけられます。はたしてそれは、最高にクールな考えでした。30分ほど仕事をしているフリをしたのち僕は、チャンドンゴンを呼びつけました。チャンドンゴンとは仮名で、つまり職場の後輩であり、ここらへん(id:foreplay:20060825:p1)をみていただければ彼の人となり、というより毛深さは伝わると思いますがそれはさておき、「じゃあ今から、杜仲茶って100回言います。ちゃんと言えてたら右手を、言えてなかったら左手を挙げてください」と僕はドンゴンに言いました。ドンゴンは目を真ん丸にしました。そして首を傾げ、やがて両手を挙げながら、「とつーた…?とつーたって何すか?」と遠慮がちに問うてきました。瞬間、あまりの寒気に身震いしました。それはないわと思いました。腹が立つのを通り越して、呆れてしまうのを通り越して、1周回ってやっぱり腹が立っていました。いったいこいつは会社に何をしに来ているのか、と疑問に思いました。隣の机に置いてあった見積書のようなA4用紙を裏返した僕は、ボールペンで「杜仲茶」と書き殴り、「これ!これ!」と大きな声を出しました。ドンゴンの目に、みるみる涙が溜まりました。そして「よ、読めませんし」と絞り出すように言うのでした。僕も泣きたくなりました。杜仲茶なんぞ、もういらない。もう二度と飲むまいと思いました。しかし、こんな気持ちになってまで痩せるべきなのでしょうか、人は。むしろここまでくると、おまえは痩せるべきではないという神の啓示、とともに滑舌の悪さを与えられた、選ばれし者の恍惚と不安を感じざるをえません。だって「杜仲茶」が「とつーた」なら「ヘルシア緑茶」は「へるしあろくた」だろうし、「黒烏龍茶」は「くりょうーりゃんた」だったりするに決まっています。そのくせ「コーラ」は「こーら」じゃないですか。あまつさえ「フライドポテト」は「ふらいどぽてと」で「ピザ」は「ぴざ」です。ほら、何者かの意図を感じるでしょ。

日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で

  • 作者: 水村美苗
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/11
  • メディア: 単行本

青春の1テラバイト

外付けHDDが壊れていることに気づいて失禁しました。ユーモラスっぽく書くと、おーもらす。超かわいい。念のため書いておきますが、僕は大沢佑香さんや紅音ほたるさんらみたいな感じには漏らしていません。あくまでほんのり程度。だって彼女らのおもらし(潮吹き)には価値がある。でも悲しいかな、僕のおもらしに今のところ価値はない。もし仮に、速水もこみちさんと僕が重なり合いながら階段をゴロゴロゴロゴロってなって、田中もこみちになったなら、漏らしそうにない男が漏らすという意外性を売りにして生きていける。でも僕は僕です。いかにも漏らしそうな男が漏らしているにすぎないじゃないですか。いたって普通。これでは何も生まれません。生まれるとしたら憐れみぐらいのものです。どう考えてたって漏らし損。むしろモラ・シゾン。だからほんのりとしか漏らしません。漏らし惜しみをしている、そう取ってもらって構いません。僕が本気出したら床上浸水レベルで漏らします。それだけは忘れないでください。というのはさておきHDDに詰まっていたのは、単なるデータではありませんでした。生きる力の源でした。ブラックボックスのようでもありピンクボックスのようでもある不思議な四角い箱でした。それがいまや鉄の屑。悲しみと憤りがないまぜとなり炎と化し、僕の身体を焼き尽くし、焼豚が出来上がりました。神様、毎日何かしらの罰ゲームが発生させるのはやめてください。それも熱々おでんとか、辛子入りシュークリームとかリアクションしやすいやつならまだしも、そういうのではなくて、えぐられる感じの痛みを伴うやつはダメ。日記を書いて、思い出したくない出来事を全部アウトプットして頭から追い出そうとしても、記憶力というやつは天邪鬼なおてんば娘でちっとも思い通りにならなくて、忘れられずにいつまでもこびりついたままです。それだけならまだしも、忘れてはならないことほど僕は忘れてゆきます。例えばDVDレンタルでは一度借りたのをしょっちゅうダブって借りてしまいます。特にシリーズものは、ちょびっと間が空いただけで何話まで見たかわからなくなります。借りる時はたえずどきどきし、どきまぎもします。僕が借りたやつのタイトルは全部、店のデータベースに取り込んでるはずです。だったらコレ以前にも借りてらっしゃいますよ、と会計の際に指摘してくれてもいいじゃない。それは余計なお世話じゃないし、僕はやしきたかじんじゃない。いちいちうっとおしいねん、また見たいから借りてるねん、めっちゃ好きやねん、やっぱ好きやねん、悔しいけどあかん、あんたよう忘れられんーとは歌いません。だから助けて。漫画やら小説なんかもまた然り。今まで星の数ほどダブり買いしては、家で泣き叫んできました。そりゃあもう、さまざまなスタイルを試しました。最も泣き叫びやすかったのは、両手を突き上げるいわゆるプラトーンスタイルです。ダブり買いに恐れおののいていると、持ってないやつを買いそびれて泣き叫ぶことになりました。泣き叫んでは買いそびれ、泣き叫んでは泣き叫びました。積読が多すぎるから、余計にそうなります。そんなこと、億も承知です。すでに自分が所有している本を把握するのはむずかしいです。午前7時半に起きるのと同じくらいにはむずかしく、午前8時半に会社へ行くのと同じくらいにはむずかしいです。というか無理です。本と本とが複雑かつ奇怪に入り組んだ、まるで巨大ジェンガのごとき存在感を放ちながら四畳半にそびえる山、それが積読です。何かの中枢のようでもあり、ハウルの動かない城のようでもあります。完全に常軌を逸した量のこいつを減らすには、いささか骨が折れます。比喩的な表現ではありません。油断すると全身の骨という骨が本当に折れます。「仮面ライダーSPIRITS」でいうなら14巻は比較的抜き取りやすい位置にありますが、7巻はそれより下、かなり危険な位置にあります。だいたい上のほうは最近買った本で、下になるほど古い本で構成されているがゆえに、下のほうから順に手をつけねばなりません。でも無闇にぶっこ抜こうものなら瞬く間にジェンガは崩れ、下敷きになり死にさらします。まさしく死亡遊戯。アチョー。言うてる場合かボケー。まずは本物のジェンガでシミュレートして、感覚を掴むところからはじめるべきかもしれませんが、血のにじむような訓練を重ねた僕がジェンガマイスターへとクラスチェンジしたところで、私設武装組織にスカウトされませんし、前戯・F・セイエイ(Fはフェなんとかチオの略)とは名乗りませんし、劇的ビフォーアフターに登場を断られた匠がなんかいじくり回してゆったり感あふれるコクピットへとリフォームされたダブルエル(LL)ガンダムに身体を押し込み、そこそこの攻撃力で積読へと介入し、積読どころか本そのものを根絶する物語ははじまりません。だから僕は、膝枕で本を読んでくれる母性本能に満ちあふれた川村ゆきえさん似の汎用人型ダッチワイフ「エリア88式」が欲しい。もしくは食べるだけでみるみる記憶力が高まってゆくコンソメWパンチでもよかろう。あまつさえ両方を手にした場合、睡眠欲と性欲と食欲の三大欲求がすべて満たされ、DVDも漫画も小説もいらなくなります。ようやく二次元に活路を見出す日々から卒業し、人生の勝ち組に転じられ…ってことは何?今の僕は何に負けてるの?そもそも人生に勝敗とかあったっけ?誰が味方で誰が敵?というかあなた誰ですか?今日の日記の着地点はどこですか?

一人ジェンガ

一人ジェンガ

  • 作者: 矢井田瞳
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2003/09/10
  • メディア: CD