口に出してもいいトコロと、口に出さないでいいコト

(夜の萌理賞なら応募してたのにな…)
月に1度、愛を確かめるためっていうか彼女に会うために僕はこの街を訪れる。1年と少し前に僕たちが出会ったこの街は今日も夜だっていうのにうんざりするほどの人いきれでむしろ夜だからこんななのかもしれないし、いずれにしろいまだに慣れることのできない僕がいる。彼女の名前は垂穂(たるほ)ってなんだかアニメに出てきそうな名前だし本名かどうかも知らないけれど、そんなことよりいかに人混みをうまく避けて歩けるかだったり、どうやって待ち時間を潰すかだったりのほうがはるかに重要で、案の定今日だってだいぶ待たされた。壁にもたれてジーンズのポケットから取り出した文庫本に目を落としていると、3人目の被害者が斧で頭を叩き割られた状態で発見された頃にようやく「ごめん、待った?」って垂穂の声が聞こえた。彼女を独り占めにできる時間はたった30分。1秒だって無駄にはできないから突き破りそうな勢いで僕はドアへと突進した。


「やあ垂穂、元気にしてた?」「うぃっす」「髪、切ったんだね。短いのも意外と似合ってるかも」「あったりまえじゃない。髪型でどうにかなるワタシじゃないわよバーカ」。


憎まれ口を叩きながらそっぽを向く垂穂の耳が赤く染まったのには気づかないふりをしてあげる。その代わりというわけではないけれど、後ろからぎゅっと抱きしめてうなじに唇を軽く這わせると、びくっとそのしなやかな身体をすくませた垂穂はすかさず反撃に転じて僕のジーンズとパンツをひっぺがす。慣れすぎた手つきで。ところで僕のおちんちんを見ながらくすくすと笑ってるのはなんでなの垂穂?


「だいぶ溜まってるよね」


なんで雰囲気を台無しにするの垂穂?っていうか当たり前だよねそんなの。僕だってまだまだ現役なのにそれを月1回に抑えてるんだから性欲だってそれなりに溜まるよねそんなの。だからって「そんなことないよ!昨日だって、その前だって、いっぱいしてるんだから!」ってムキになることはなかったろうけど。…いや、だからさ、そんな悲しそうな目で見ないでよ垂穂。ウソだってばごめん。どうしていいか分からずにあたふたする僕と肩を震わせる垂穂。…もしかして泣いてるの垂穂?


「…じゃなくて、あの、チンカスが」


垂穂?ねえ垂穂?そんな下品な言葉をどこで覚えたの垂穂?っていうか笑ってたの垂穂?かわいさ余って、皮も余って憎さ100倍。キイェェェーーーーーー!


「ううん、そうじゃないの」「えっ?」「バファリンの半分がやさしさでできてるって知ってる?」「うん、聞いたことあるよ」「だったらあなたのおちんちんだって、やさしさに包まれてる。そう考えるワタシ、なにか間違えてるのかな…」


垂穂、きみはいつだって正しい。きみとなら、今の関係を一歩踏み出せそうな気がするよ。うん、きっとだいじょうぶ。ずっといっしょに、いっしょに歩いていこうね垂穂。


「うん、あと20分だけね。それとも…延長する?」


僕は後ろ手でさりげなく、財布の中身を確かめた。だいじょうぶ。歩いて帰ればだいじょうぶだから心配しないで垂穂。

嬢マニュアル -18才からの「夜」のハローワーク

嬢マニュアル 18才からの「夜」のハローワーク

  • 作者:森山まなみ
  • 出版社/メーカー:祥伝社
  • 発売日:2006/05
  • メディア:単行本