Childhood friend

Aくん(男)とBくん(男)とCさん(女)がいました。3人は小学生時分からの腐れ縁、いわゆる幼なじみというやつでした。ただAくんとCさんは、かつ恋人という関係で、すでに結婚式を間近に控えていたりするわけです。幼なじみから恋人を経て夫婦へという黄金パターンであります。こう書いてしまうとなんだかBくんが少し不憫に思われるかもしれませんし、Bくんが羨ましいという気持ちをほんの少し感じていたのもまた事実。ただCさんに対して恋愛感情を抱いたことは一度もなく、親友として2人のことを心から祝福しました。というか、Bくんは単に幼なじみから恋人を経て、というシチュエーションを羨ましがっていただけだったという。おそらくはそういった類の漫画を読みすぎているのでしょうきっと。


AくんとCさんの間に起こった嬉しいことや悲しいこと、それらのほとんどは彼ら自身の口からBくんに伝えられ、やれ喧嘩しただのといった愚痴を、特にアドバイスをするわけでもなく、Bくんはただ黙って聞いていました。2人にすればそれだけでもありがたく、むしろ下手に口を挟まれるよりは(少し言葉を悪くすると)都合のよい存在だったのかもしれません。実際に板ばさみになることもしばしばあったりして、Bくん自身も何度か辛い思いを味わったりもしましたが、それでも幾度かのピンチを乗り越えて、その度に絆を深めて、ようやく夫婦という新しい形でともに生きていくことを選んだ2人を見ていると、まるで自分のことのように嬉しい気分にもなるし、また彼らや他の友達の幸せな様子を目にしていると、案外幸せというのはそんなに特別なものじゃなくて、気づいていないだけで実はありふれたものなのかもしれない。特に幸せを感じるわけでもない毎日でさえ、本当は自分が気づいていない幸せの積み重ねなのかもしれない…。そんなことを考えさせられたりもするのでした。そういう意味でも、彼らに、友達に、感謝しているのでした。


ところで2人の表事情、裏事情にやたらと詳しいBくんなのですが、ひとつだけ分からないことがありました。それは、彼らの関係が幼なじみから恋人へと変わった正確な時期です。彼ら曰く、家がお隣さんではなかったので屋根伝いにお互いの家を行き来したりどこでもドアで入浴シーンに突撃したり交通事故で亡くなった双子の兄の代わりに甲子園を目指したりといったこともなく、なんとなく気がついたらステディな関係になっていたそうなのですが、果たしてそんなことがありうるのだろうか。なにかきっかけがないと発展しないと思うんだけどなあ。正三角形がいつの間にか二等辺三角形になることなんてありえないんだけどなあ。2人についてたいていのことを知ってるくせに、肝心のそこが分からないとは…。それを考えるとBくんはもやもやっとするのですが、たぶんそれこそが二等辺三角形であるゆえんなのかもしれないなあと納得せざるをえませんでした。


3人が出会ってもうすぐ20年が経とうとしています。その間に三角形のカタチはだんだんと変わって、これからも更に変わり続けることでしょう。それでも3つの点はいつまでも線で結ばれているような、そんな気がしてなりませんし、そうであればいいなあと思っているBくんの悩みは結婚式に着ていくはずだったスーツのウエストが合わなくなっていたことと、結婚式のスピーチをまだちっとも考えてないことだったりします。なんともまあ彼らしいというか…。これから2人で歩んでいく道のほうが長いのは当然として、険しさはきっと増すと思う。進むにつれ荷物も増える。疲れて何も考えたくなくなって、全てを投げ出したくなるかもしれない。でもそんな時は、ほんの少し足を止めて、後ろを振り返ってみてほしい。今まで歩いてきた道を思い出してほしい。そして真っ暗で見えなくなってしまう時もあるけれど、ちゃんと手を伸ばせば触れられる距離に君たちはいるんだ。耳をすませばきっと、お互いの息遣いが聞こえるはずなんだ。それに気づくことさえできればもうだいじょうぶ。道案内はおれに任せろ。なんというか、まあ、かなり方向音痴なんだけども。

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