ブログと呼ばないで

意外に思われるかもしれませんが、裸エプロンはあまり好きではありません。ただし生裸エプロンはどうしようもなく好き。スポーツ見るのはそんなに好きじゃないけど自分で身体を動かすのは好き。そんな感覚かもしれません。でも実際のところ裸エプロンを見て何も感じない人でも生裸エプロンを見たら衝撃で立っていられなくなると思う。とある部分をのぞいては。要するに、ただの裸エプロンと生裸エプロンとでは雲泥の差が存在する。わかりやすく例えるなら手マンとダイダロスアタックぐらい違う。戦艦相手では一個小隊の加藤鷹でもほとんど無力に等しいといわざるをえません。

エッチなDVDで裸エプロンをはじめて見た時、その布を取りなさい…としか思えませんでした。でも後日、諸事情あって大人のお店に行きそういう格好をされている女性を見た瞬間、頭の中からカチッと歯車が噛み合うような音が聴こえました。それからしばらくの間は諸事情があろうがなかろうが、本番移行を目前に控えているというのに連携テストで致命的な設計ミスが発見されようが、お店には行きました。そして知りました。裸エプロンがもたらしてくれる多種多様な喜びを。ある時はパッツンパッツンになったエプロンからこぼれ落ちそうな横乳が描く曲線に見とれ、またある時はエプロンの隙間からちらっと見えるお豆をひたすら目で追いかける日々を過ごしました。みんなちがって、みんないい。無意識にそんな言葉を漏らしさえしました。ちなみにおしりばかり見てしまうのは最初だけ。次第に気にならなくなります。むしろパンティ履いてくれと懇願するようになります。

なにゆえ今、裸エプロンの話をするのか。それには理由があります。生裸エプロン最強説をこれまで唱えてきたわたしでしたが、仕事中にふと気づいたのです。焼肉屋などで使用する紙エプロンならあるいは、生裸布エプロンを超越する存在になりえるのではないかと。あのカーディアス・ビストが人と人が分かり合う可能性を信じてユニコーンガンダムをバナージに託したように、わたしも生裸紙エプロンが持つ可能性を信じてゆり子さんにいつか託せる日が来ればいいなと思う。紙エプロン姿のゆり子さんと紙おむつ姿のわたし。まさにこれこそ究極のペアルック。